関口江畔

関口江畔(せきぐち こうはん)

関口江畔 自由律俳句
本名・関口毛佐松
1865年(慶応元年)年1月9日 –1954年(昭和29年)年9月12日

若いころより、俳句や短歌を詠む。
大正12年には歌人若山牧水の門下となり、主宰する「創作」でも活動した。
その後、荻原井泉水の門下となり、層雲に加わる。
1944年には80歳の記念に歌句集「あられ」を出す。
1952年の米寿の齢に層雲寿老賞を受賞。
88歳から書き始めた自由詩を掲載した老農詩集がある。
種田山頭火とも親交があり、1936年5月には山頭火が江畔のもとを訪れた。
自由律俳人の関口父草は江畔の三男である。
家の近所にある鼻顔公園に江畔の遺志で父草が建てた井泉水の代表句である「空をあゆむ朗朗と月ひとり」の句碑がある。
ここに江畔の「兄も弟も日に焼けて学校へ行く日となった朝飯」の句碑もある。

代表句

・兄も弟も日に焼けて学校へ行く日となった朝飯

略歴

長野県北佐久郡平根村にて出生。
10歳で母が亡くなり、養子の父は実家に戻る。
当時7歳の妹と江畔は祖母が養う。
隣町である岩村田で米や肥料を扱う商売をするが、第1次世界大戦後の不況で失敗。
その後、長男の死もあり、農業に専念し、また禅の道など、仏道修行を行う。
禅は前円覚寺管長宝岳老師や大眉老師に学ぶ。
京都にある一灯園で活躍した西田天香の「懺悔の生活」も愛読していた。
89歳にて逝去、法名は宝徳奉祥江畔居士。
岩村田円満寺に墓地がある。

参考文献

老農詩集 普及版